何が起こってるかわかってない

私は自分の感情や受けているストレスをリアルタイムで実感できていることが少ない。

ACによる自覚のない感情の抑制もあることにはあるんだろうけど、それよりかはASDの状況把握がうまくできない特性由来な気がする。

 

本日通院し、抗不安薬を新たに処方され、その薬についてインターネットで調べていた。

頻用される抗不安薬の眠気や作用の強弱を比較しまとめたサイトがあり、その中に高校生の時に1度処方されたことのある薬の名前をみつけた。

 

高校時代を振り返ると、何が何だかわかっていなかったと思う、と振り返る。

大雑把な言い方だが。

なんというか、あの状態で抗不安薬を出されても飲み方も飲む必要性もわかってなかったよなあと思ってしまった。

 

高一の11月頃、それまでの言いようのない生きづらさの原因を突き止めた。

アスペルガー症候群の存在をインターネットだか書籍だか忘れたが、知ったからだ。

衝動的な私は自分で精神科病院に電話で相談し、予約時間を設けてもらった。

 

ASD孤立型と受動型の中間地点にいた私は、物心ついた頃から友達という存在がいなかった。

自分自身としては友達ができないというより、「友達って何?」と概念すらわかっていなかったと思う。

必要性も感じず、当然作り方もわからず。

それでもほんの少数の気の合う人にはよくなつき、交流維持していたから完全なる孤立型ではなかったんだと思う。

 

学校時代は、友達もいるんだかいないんだかわからない子、とか先生に言われていた。

少し仲良くなっても集団行動が取れないから、どこのグループにも属せない。

中学時代の担任の先生が、たまに談笑する姿は見かけるが、常にひとりでいます、と三者面談で母親に話していたのを覚えている。

 

友達という概念がわからないから作る意味もわからなかったが、中学からはコミュニケーションの必要な授業や行事も格段に増え、かなり生きづらくなっていたのも間違いなかった。

見かねた母親や担任の先生からは、スクールカウンセリングやフリースクールの利用を勧められたが、未知のものは受け付けない特性があるからか詳しく聞くこともなしに断っていた。

なぜか、ひとりで我慢していた。毎日原因不明の胃痛と戦いながら。

 

話は脱線したが、そんな自分の生き方に限界がきたのが高校入学後だ。

適当に受験して入った中堅高校に環境適応できずにいじめに遭うようになった。

昔から何かとそういうののターゲットにはなっていたが、今回は私の孤立状態に目をつけた陰湿ないじめだったために心身ともに初めて直接的にダメージを感じ、悩み出した。

 

以前から周りは助け舟を出していたにも関わらず、突然、自分勝手に悩み出し、自分の状態や感情の充分な説明もできずに精神科病院に通院した。

 

在学中、学校が嫌だという気持ちは明確にずっとあって、通院の度に話していたから、その時の不安を和らげるために抗不安薬を処方されたのだと思うけど、もう漫然的に嫌で、でもそれを今まで我慢してきたから、いつ不安症状が出るとかそういうのも自分で全く把握できてなくて…

つまり抗不安薬を出された意味と使用方法を全く理解できていなかった、と。

でも特に体育とか実技教科で嫌なのが限界を超えたものは、出席だけとったら更衣室に逃げてしまうとか反社会的な行動で示すしかストレスのやり場がなくて。

今思うと休学でもする必要性があったのかなと思う。自分で自分の状態の把握する必要あったよなあって。

 

アスペルガーの本当の意味での困難や、抗不安薬の使い方が分かったのは大学時代からだ。

主治医と相性がよかったのもあって、「この薬はこういう時に飲みなさい」と言葉で明示してもらってやっとわかった。

高校時代の主治医は、私がここまで何もわかってない人間だと想像がつかなかったのかもしれない。

 

このように自分で自分が助かるチャンスを逃しているから、未だにアスペルガー症候群の診断は家族にもよく理解してもらっていない。こういう過程があると考えると、悲しい。

 

休職して1週間が経とうとしているが、考える時間があると、仕事で何がストレスだったのかがよくわかる。

やはり自覚がないが、仕事から離れて自分の苦手とすることと業務を照らし合わせて論理的に考えてみると、ここが苦しかったんだなという部分がわかってくる。

 

だが逆にこういう時間を設けないと、自分の状況が全くわからないというのも困った話だ。

休職なんて何度もできるわけがない。贅沢な時間を頂いているのだから。