ヘルパーをしてた理由

日曜の夜でとても眠れないので、さっき感じたことを書き留めておこうと思う。

 

私は大学時代、介護系のアルバイト(有償ボランティア)をしていた。以下ヘルパーと呼ぶ。

私はこの活動を大学3年から始めたが、勉学に励むでもサークル活動に励むでもなく、どっちつかずだっただらけがちな学生生活を奮い立たせてくれ、また人と関わること(人の役に立つこと)はの喜びも大いに感じられ、本当に良き思い出だったと思っている。

1-2年と1人の利用者さんを持っていたから、こんな私でも慕ってくれたり頼ってくれる方がいたのだ。

 

私は大学2年までは、苦手ながらも色んな人と関わりを持つよう学内の様々な活動に参加するよう努めていた。

どれも活動に対する目的意識はあったのだが、人間関係に馴染めず、今考えると嫌々続けていたのだと思う。

友人関係は恵まれていて、気兼ねなく話せる仲間が数人いたため、孤立など学生生活に困ることは無かったが、休日など大学外で会うことも少なかった。

そういう関係になろうと働きかけたこともあったが、そのうち自分自身がオフの時間を他人と付き合うのに完全には割けない人間なのだと気付かされた。

そのため、大学3年直前くらいから「今までのように学内で可能な限り固定の友人と付き合うのは続けられるが、他の活動はもういいかな…」と思い始めてきた(就活のネタは十分できたし…)

 

でもそのうちに、自分が人との関係で頭を使わなくなったことに気づいた。これが理由のひとつ。

何を言ってもだいたい許される仲間とだけ関わる、新しいことに挑戦しないで一、二年で得た要領(単位のとり方など)で大学生活を送る。

マンネリ化と言ったらあれだけど、自分自身そんな風に切に感じたし、精力的に学生生活を送る周りを見て、危機感も覚えた。

それでも学内でなにかに挑戦するのはもう嫌だ。何をやっても成功しない気がする。この学年ってのもあるけど。

明確ではないが、漠然とそんな気持ちはあったと思う。

それで踏み出したのが学外だ。

 

私は大学2年より、今の就職先のような環境・仕事のところでアルバイトをしていた。

そこでは大学のように横のつながりが重視されなかったから、居づらさがなく、仕事も得意なものも少しあり、褒められたり感謝されたことも極たまにあった。

評価されていたのかはわからないが、良くしてもらえてたと振り返る。大半の人に嫌われてはいなかった。

 

あとは、今でこそハッキリと自己認識していることなのだが、自分は大学みたいなところで同年代ばかりの付き合いは苦手だけど、年代のバラバラな人がいる場所の方が合っているのではないかとぼんやりと考えていた。

つまり、誰かに認められたかった。これがふたつめの理由。

 

あとは大学で学んだことを実践して、専門性を高めたいという思いもあって、全て統合して考えた末、大学に募集が来ていた知的障害者施設での移動支援のボランティアに応募した。

 

私は場面緘黙後遺症により、口数が少なく、声も小さかった。

特に相手が乗ってきてくれないと萎縮して話せなくなる癖があったが、利用者さんはほとんど皆そうだ。

こちらが話しかけて、盛り上げるしかない。

最初は気疲れがすごくて、自分はダメだと思うことも多かったが、何回も利用者さんにお会いするうちに慣れてきてまぁまぁ会話ができるようになってきたりして、それから徐々に私自身から喋るようになっていった。

コミュニケーションはまだまだどヘタだけど、人と話す度胸だけはついたかもしれない。

意思疎通が必ずしもスムースにできない方々と関わるという点では、今の仕事には生きている。

 

上記が一番の成果だったと思っているけど、最初に書いた人の役に立つ喜びなども得た重要なことだったと思う。

自分が考えた支援で「楽しかった」「ありがとう」と喜んでもらえるのは、本当に嬉しかった。

それは今の仕事でも「助かりました」と言われるとき、同じように感じる。

 

細かい事はともかく、人嫌いになるのを防止することが出来たのは良かったと思う。

 

大変だった、辛かったこともあったけど、良い思い出の方が多いから、今も休日に似たようなボランティアやりたいなと思っていた。

だけど、メンタルを患い、今は本格的に仕事してるし、頭的に精一杯なのかも知れないから、休日は自分の休みにしようかなとおもいなおしている。

でもいつかまたヘルパーやりたい。