自尊心の身につけ方

お久しぶりです。ここのところ、毎回この挨拶で始まっているような気もしますが。

現時点で過去のことはあまり掘り下げて書く気はないのですが、私は思春期のよろしくない環境により18,19歳くらいまでかなり自尊心が低かったと思います。

アイデンティティの確立がまるでできていなかったので、自分の特性がわからず少しの批判や失敗に過敏に反応してしまい大変生きづらい状態だったと振り返ります。

しかしながら、この大学四年間でなにか心持ちがとても変わったような気がします。

ちょこちょことした自分なりの成功は何度かあったのですが、何か偉業を成し遂げたとかそういう大きな変化はなかったのに、なぜ心が安定してきたのか考えてみました。

 

良い成績を取るとか頭のいい学校に入学するとか、客観的に見て結果を出して言えるような成功があれば、良いと思います。自尊心は高まっていくことでしょう。

しかしそれはとても難しいことで、誰かに羨ましがられるような身分になるように努力をしても実らないことも多いですよね。

 

私は本当に小さなことでも、誰かに褒められる事ではなくても「自分のした選択を肯定する」ということを無意識にやっていたなあと思うのです。

例えば、髪型を変えた時に自分で自分の姿を「いいなあ」と素直に思っていました。「人より可愛い」などと誰かと比較するのではなく単純に過去の自分と比べて、です。

今までお洒落な髪型などしたことがなかったのに、四年間で本当に色々な髪型にチャレンジしました。「私の髪質はこうだからこれしか似合わない」というような思い込みをどんどん突破していきました。

気に入らない髪型になったことも数回はあったけれど、それ以外は新しい自分の姿に「ああ、この髪型にして良かった!」と心から喜んでいたような気がします。

洋服選びや買い物についても然りです。「このコーディネートよかった!」「このペン買ってよかった!」など…自分で選択したことが自分のためになったということは少しずつ自信を蓄積させていくことができるのでは?と思います。

 

それでも、人間って以上のような単純なことだけで生活が構成されているわけではないので、大学の履修プログラム、サークル加入などで「こんな選択するんじゃなかった…」と落ち込むことは多々ありました。

前者の方は、気の合う人の全くいない環境に置かれて、その上授業についていけないし…という状況でした。成績だけでも良い点を取ろうとしても、そこで仲間も見つけられやる気のある人とは差が開いていく一方でした。資格試験も二度も落ちるし。

それでも単位を取ってプログラムを修了させることくらいはできそうだったので、単位は欠かさず取るように頑張りました(といっても、余暇の時間で勉強するとプログラムが嫌だということを考えてしまうので、本当に合格ギリギリの最小限の勉強しかできませんでした)。

学力は殆ど何も身につかなかったけれど、「嫌な環境でも最低限の目的は達成させることができた」という自信は少なからずできました…。

 

後者は、正直あまり認めたくないのですが人間関係で誤ってしまったと自分では思っています。その集団に合わないという予兆は度々感じていたにもかかわらず所属し続けてしまったという思いがあり、恐らく人生で一番後悔した選択です。

そこまでして執着し、誰にも好かれていないのに活動や仕事を頑張った理由はなんだったかと考えたときに、受験生のときからずっとやってみたかった活動だからです。

だから嫌な記憶が残ったとしても、その活動自体を嫌いたくないと強く思いました。そもそもサークルという環境が自身に合っていないとも感じたため、アルバイトで似たような活動をすることに決めました。

胸のしこりがないといえば嘘になりますが、新しい場所では自分の出来る範囲でめいっぱい活動ができたので新たな苦手(トラウマ)ができるのは防げたかなと思います。

トラウマは行動範囲を狭め、自身低下に直結するものだと思っています。

様々な意味でトラウマができやすい障害だと思っているので、失敗をトラウマにしないよう自分で工夫するのは大事だなと思いました。

 

今回の記事は多少自己正当化が混じっているかもしれませんが、ある程度は自分目線で生きていきたいと思っているので文章にして公開したいと思います。