アスペルガー社会人♀のブログ

1年目(去年)でパワハラ受け、うつに。4月より心機一転部署異動。さてどうなる。

消えぬ不安の原因

普段、不安や恐怖に支配されてうつ状態になることが非常に多い。

精神科に通院し、抗うつ薬抗不安薬睡眠薬を処方してもらい、ほぼ指示通り服用しているが、どうにも問題の根本に職場でのストレスがあるからか、病状は悪化するばかりである。

何が私をそんなに苦しめているのか。今の現状を正直に文章に書き出してみようと思う。

 

私は職場で孤立している。

孤立しているというのは具体的には、業務中に雑談することがほとんどなく、周りから見て(主観的にもだけど)特に仲の良い人がいないという状況だ。

しかしながら、必ずしも全ての人がどこかしらの派閥に属しているわけでもないし、黙々と仕事をしているような寡黙な人も何人がいるため、「自分だけだ」という罪悪感は少ない。

また年上の方を中心に、共通の話題を以て話しかけてくださる方もいるので、その際にはできる限り明るく対応するよう心がけており、全員からの嫌われ者というわけではないようだ。

しかも仕事自体は、やろうと思えば1人でコツコツ、マイペースにできる内容なので、1年弱勤務していて、孤立状態を自分自身が強ち居心地の悪いものではないなと感じてしまったのだろうと思う。

 

しかし、私は社会人1年目である上に新人である。

この年に身につけるべき社会性、社会常識がたくさんあり、大変重要な内容である。

社会常識の身についた年齢の人が孤立するのは肝が座っており、むしろプラスにと思われることもあるだろうが。

孤立しているということはそれらが身につきづらいことに直結する。

なぜなら、実際の業務だけなら聞けば淡々と教えてくださる方は多いために、現在特段困った状態とはなっていないが、目上の人への挨拶の仕方やリーダーシップのとり方などは同年代の仲間から「空気」で学ぶ(見様見真似みたいな)ものだと日頃から感じているからだ。

 

私の職場は若手社員が多い。

私はASD特性により、冗談やなれあいがわからなかったり、会話の際の瞬発力が欠けているために、ノリが悪かったり変な発言が目立つが、それは特に若手の中で顕著になる。

完全に誰かに避けられているわけではなかった。

今でもたまに話しかけてくれる人はいる。

でもこの場に混じったら、定型発達者的な空気を壊すのは確実であり、それにより他の若手社員に迷惑をかけ、自身も傷つくのは確実だと想像し、自ら若手の誰かに交流を図ろうとするのはやめた。8月くらいだろうか。

 

ほかの同期を見ていると、歳の近い、ほぼ同じくらいの若手社員と仲良くなり(ほとんど友達同士のノリに見える)、そういう「振る舞い方」を、もちろん直接教えてもらうこともあるだろうが、何より見本として間近で見て学ぶことができるのだろうと感じる。

 

私だってせっば詰まってない時は、必死に周りの若手の動向を確認しているつもりだ。

でも傍から見ているのと、気軽に会話を交わしつつ身につけるのでは、体感や次の機会の実行力が断然違うのだろうと予想する。

悲しくなる。親しい先輩や同期がいないとはこういうことなのか、と。

今後自分だけ非常識な振舞いをして恥をかいてのろのろと遅れながら学んでいくしかないのかと思うと、とても不安になる。

社会生活が恐怖にしか思えないこともある。

 

さて、私は入社前には秘書検定を取得し、さらに入社半年くらいは毎週図書館に通い、ビジネスマナー系の書籍を何冊も読んできた。

知識はある程度はあるはずである。

それなのに実践ができない。

例えば、新年仕事始めの挨拶。すれ違った人には自然と「今年もよろしくお願いします」と言えるのに、自分から人に言いに行けなかった。

頭ではやらねばならないことをわかっているのに、失敗したら、気付かれなったら、まずい挨拶の仕方だったらと考え、縮こまってしまうのだ。

場面緘黙症の後遺症により、声が出なかったり体が動かなかったりするのも関係すると思う。

 

とにかく、自分の得手である知識としての吸収を努力しない他ないだろう。

最近は図書館に行くのも難しく、活字を読む気力もないことが多いため、先日マンガで学ぶマナーのような書籍を購入した。

少しでも知識を得て、そしてそれを実践する場を自分で作り出すことが目標だ。

 

 

新年の挨拶

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
去年は主にTwitterで活動しており、なかなか当ブログ執筆の時間が割けませんでした。
そのため近況報告がまめにされておらず、とりあえず何かを主張したい時だけ投稿するような形になってしまい、状況のよく見えないブログになっていたかもな、と反省しております。
本年は社会人2年目となりまして少しは余裕が出てくると思いますので、これまでの経緯書き出しや振り返りも適宜行っていきたいと思います。

人を嫌いになりたくない

あっという間に年末になりました。

今年を振り返ると、年明け〜就職まではだいぶ上昇気流だったのが、就職して夏くらいから一気にダウンした気がする。
人に言わせれば、それは初めて社会人になって社会に揉まれてるのかもしれないけどね。当たり前って言われてしまうけど。

 

この時期といえば、大学卒業が決まり新生活に向けて稼ぐぞと工場の派遣社員やったり、ベトナムに行ったりしてた。
ベトナムでの楽しさは数ヶ月前、「楽しかったこと」内に3~4記事にまとめてあるんだけど、今は工場でペアだった40代女性の方のことを思い出してすごく懐かしい…
ほんとにいい方だったなぁ。仕事中ずっと話してたし。


今は信じられない、そんな自分が。
仕事に集中しすぎて雑談できないし、そんな態度取ってるから職場にも馴染んでなく、気軽に話しかけられる人っていないもん。
今の職場の人、みんな私が寡黙とか暗いと思ってるかもしれないけど、というか今私自身が自分がそういう人物なんだって信じ込んでしまっているけど、そうじゃない場所もあったんだよ…
私はASDもあるし全部素とは行かないけど、ある程度は自分らしく明るく話せてた場があったことを心に刻んでおきたい。


でも痕跡も何もないから、忘れちゃう。どんどん記憶は薄れていくんだろうな。

これ以上、私は人間不信になりたくない。


そう思うと、今の職場環境は合ってないのかもね。
どうしたら最適な環境に辿り着けるだろう。

「就労に躓く若者」

本を読んだ。

私は無職ではないが、「はたらくにつまずく」というサブタイトルに惹かれたのだ。

 

大卒だって無職になる "はたらく"につまずく若者たち (ホビー書籍部)

 

 

発達障害などの障害認定を特に受けていない人向けの就労支援NPOの取り組みに関する本、かな。

診断なくて、発達障害とまでいかなくても、几帳面すぎたり大人しい性格のケースが多く登場して自分にも通ずるところがあるなあと感じた。
就活段階で面接官になんとなく覇気が足りなく見えてしまい、立て続けに落ちてしまう就活生の話は、自分が実際にそうだったかわかりかねるけども、すごく心当たりがあったような。

ここにはあまり書いてないけど、去年(大学4年時)、私が就職しづらかったっていう事実は確かにあって、そういう傾向を持つ人は一定の数いると明文化されてて、当時の孤独な辛みが思い出された。

さらに就職出来ても全力でやりすぎて燃え尽きてしまうとか、できないのサインが出せないとか、そういう人の例も多く出てきて、今の自分と重なって胸が詰まる思いだった。

 

昨今の大卒新卒者の就職難と離職率の高さについて、一般的に「自分が求めていた仕事と違うとすぐ辞めてしまう、諦めが早い」「若者自身に根性・耐性が無さすぎる」とか言われてるけど、それだけじゃないと思うんだよなあ。
違う理由で、むしろ苦しんでいる若者もいるってことを取り上げてくれて凄く嬉しい。
もっと色んな人に読んでほしいと感じた。

 

 

 

愛着障害と向かい合わなければ

私は愛着障害である。と思う。

特に医者にも診断されていないし、誰かに指摘を受けた訳ではないが、書籍を読んだり、愛着障害を自称する方との交流から、自分で確実だと思っている。

愛着障害ってそういうものなのかもしれない。

自分でその存在を知って自覚しないと、いくら苦しんでいても周りにはわからない。

言わば自分で自分を慰めることしか出来ないのだと思う(下ネタではない)

回復プログラムとかも探せばあるようだが、お金がかかったり、集団行動がプログラムの手段だったりして、発達障害もある自分に有効なのか甚だ疑問であるため、利用に積極的になれない。

 

私は事務職と名乗っているけど、一応対人援助職に従事している。

毎日人を直接援助しなければならない訳ではないのだが、それでも電話対応含め月の5分の1くらいの時間は対人援助している。

それが本来の目的ではなくても、どうしてもクライエントの心の問題に触れなければならないことが多々ある。

そういうのを見せがちなクライエントは「めんどくさい人」などと同僚たちに噂されている様子をよく見るが、私の場合はとても変な気分になってしまう。

 

自分でも変と思うくらい、援助されているクライエントへ嫉妬してしまったりする。

具体的には、自身が愛着障害ゆえか、同じ匂いを感じるクライエントも多く、相手の求めている「認められたさ」を強く感じてしまう。

そして、その後に自分自身の認められなさを痛感することが多い。

 

クライエントへの対応はASDゆえか上手くはないが、それの上手さを直接求められる仕事ではないために、現在特に問題は感じない。

だから仕事の遂行は可能だが、それにしても心が苦しいことが多い。

愛着障害のない他の人は同じように感じていないのだろうと思うし、孤独な苦しみである。

 

このことは当ブログには書いたらどうか忘れたが、私は現在、職場でパワハラと思われる行為を受けており、パワハラ対策本部に介入してもらっている。

発達障害特性がトラブルの原因となってパワハラを受けるんでしょ?」のような言葉を頂いたこともあったが、過去にも被害者がいるために客観的に認められうるものである、とは述べておく。

それゆえ、適応障害のような状態(医者は「職場にはうつと言っておいて」と言い、自立支援医療の診断書には双極性障害と書いていてよくわからないのだが)となってしまった。

しかし、自分は耐えきれないパワハラを受け、それが病気に直結しているとは思いきれない部分がある。

ベースに愛着障害があるから、こんなに崩れてしまうんだろうなあと思うのである。

 

愛着障害の概念自体、広く認められざるものである上に、それを前面に出すと「めんどくさい人」と思われそうなので、あまり口外したくない。

産業医には元々精神科通院していた原因は愛着障害だからだと伝えたことがあるが、特に触れられたことがない。

 

地方都市在住のため叶わない願いかもしれないが、うつの治療と並行して、愛着障害に理解のあるカウンセラーによる支援を受けたいものである。

はぁ。