人を嫌いになりたくない

あっという間に年末になりました。

今年を振り返ると、年明け〜就職まではだいぶ上昇気流だったのが、就職して夏くらいから一気にダウンした気がする。
人に言わせれば、それは初めて社会人になって社会に揉まれてるのかもしれないけどね。当たり前って言われてしまうけど。

 

この時期といえば、大学卒業が決まり新生活に向けて稼ぐぞと工場の派遣社員やったり、ベトナムに行ったりしてた。
ベトナムでの楽しさは数ヶ月前、「楽しかったこと」内に3~4記事にまとめてあるんだけど、今は工場でペアだった40代女性の方のことを思い出してすごく懐かしい…
ほんとにいい方だったなぁ。仕事中ずっと話してたし。


今は信じられない、そんな自分が。
仕事に集中しすぎて雑談できないし、そんな態度取ってるから職場にも馴染んでなく、気軽に話しかけられる人っていないもん。
今の職場の人、みんな私が寡黙とか暗いと思ってるかもしれないけど、というか今私自身が自分がそういう人物なんだって信じ込んでしまっているけど、そうじゃない場所もあったんだよ…
私はASDもあるし全部素とは行かないけど、ある程度は自分らしく明るく話せてた場があったことを心に刻んでおきたい。


でも痕跡も何もないから、忘れちゃう。どんどん記憶は薄れていくんだろうな。

これ以上、私は人間不信になりたくない。


そう思うと、今の職場環境は合ってないのかもね。
どうしたら最適な環境に辿り着けるだろう。

「就労に躓く若者」

本を読んだ。

私は無職ではないが、「はたらくにつまずく」というサブタイトルに惹かれたのだ。

 

大卒だって無職になる "はたらく"につまずく若者たち (ホビー書籍部)

 

 

発達障害などの障害認定を特に受けていない人向けの就労支援NPOの取り組みに関する本、かな。

診断なくて、発達障害とまでいかなくても、几帳面すぎたり大人しい性格のケースが多く登場して自分にも通ずるところがあるなあと感じた。
就活段階で面接官になんとなく覇気が足りなく見えてしまい、立て続けに落ちてしまう就活生の話は、自分が実際にそうだったかわかりかねるけども、すごく心当たりがあったような。

ここにはあまり書いてないけど、去年(大学4年時)、私が就職しづらかったっていう事実は確かにあって、そういう傾向を持つ人は一定の数いると明文化されてて、当時の孤独な辛みが思い出された。

さらに就職出来ても全力でやりすぎて燃え尽きてしまうとか、できないのサインが出せないとか、そういう人の例も多く出てきて、今の自分と重なって胸が詰まる思いだった。

 

昨今の大卒新卒者の就職難と離職率の高さについて、一般的に「自分が求めていた仕事と違うとすぐ辞めてしまう、諦めが早い」「若者自身に根性・耐性が無さすぎる」とか言われてるけど、それだけじゃないと思うんだよなあ。
違う理由で、むしろ苦しんでいる若者もいるってことを取り上げてくれて凄く嬉しい。
もっと色んな人に読んでほしいと感じた。

 

 

 

愛着障害と向かい合わなければ

私は愛着障害である。と思う。

特に医者にも診断されていないし、誰かに指摘を受けた訳ではないが、書籍を読んだり、愛着障害を自称する方との交流から、自分で確実だと思っている。

愛着障害ってそういうものなのかもしれない。

自分でその存在を知って自覚しないと、いくら苦しんでいても周りにはわからない。

言わば自分で自分を慰めることしか出来ないのだと思う(下ネタではない)

回復プログラムとかも探せばあるようだが、お金がかかったり、集団行動がプログラムの手段だったりして、発達障害もある自分に有効なのか甚だ疑問であるため、利用に積極的になれない。

 

私は事務職と名乗っているけど、一応対人援助職に従事している。

毎日人を直接援助しなければならない訳ではないのだが、それでも電話対応含め月の5分の1くらいの時間は対人援助している。

それが本来の目的ではなくても、どうしてもクライエントの心の問題に触れなければならないことが多々ある。

そういうのを見せがちなクライエントは「めんどくさい人」などと同僚たちに噂されている様子をよく見るが、私の場合はとても変な気分になってしまう。

 

自分でも変と思うくらい、援助されているクライエントへ嫉妬してしまったりする。

具体的には、自身が愛着障害ゆえか、同じ匂いを感じるクライエントも多く、相手の求めている「認められたさ」を強く感じてしまう。

そして、その後に自分自身の認められなさを痛感することが多い。

 

クライエントへの対応はASDゆえか上手くはないが、それの上手さを直接求められる仕事ではないために、現在特に問題は感じない。

だから仕事の遂行は可能だが、それにしても心が苦しいことが多い。

愛着障害のない他の人は同じように感じていないのだろうと思うし、孤独な苦しみである。

 

このことは当ブログには書いたらどうか忘れたが、私は現在、職場でパワハラと思われる行為を受けており、パワハラ対策本部に介入してもらっている。

発達障害特性がトラブルの原因となってパワハラを受けるんでしょ?」のような言葉を頂いたこともあったが、過去にも被害者がいるために客観的に認められうるものである、とは述べておく。

それゆえ、適応障害のような状態(医者は「職場にはうつと言っておいて」と言い、自立支援医療の診断書には双極性障害と書いていてよくわからないのだが)となってしまった。

しかし、自分は耐えきれないパワハラを受け、それが病気に直結しているとは思いきれない部分がある。

ベースに愛着障害があるから、こんなに崩れてしまうんだろうなあと思うのである。

 

愛着障害の概念自体、広く認められざるものである上に、それを前面に出すと「めんどくさい人」と思われそうなので、あまり口外したくない。

産業医には元々精神科通院していた原因は愛着障害だからだと伝えたことがあるが、特に触れられたことがない。

 

地方都市在住のため叶わない願いかもしれないが、うつの治療と並行して、愛着障害に理解のあるカウンセラーによる支援を受けたいものである。

はぁ。

 

仕事休みました

精神疾患の症状を理由に、初めて仕事を丸1日休んだ。
今月頭から頭痛と吐き気がずっと続いていたことと、精神的に限界を感じたため...
具体的には、主に退勤後、酷い時には勤務中にも涙が止まらなくなったり、食事が摂れなくなったり、何より希死念慮が未だかつてないほど高まったからである。
朝、職場に電話し、主に吐き気について説明し、数日食事もとれておらず出勤が難しいと打ち明けた。
恐らく初めて窮状を話すことができたと思う。今まではなんだったんだ。

一週間ほど前から、凍死や大量服薬によって、本気で自殺を考えてしまい、調子がとても悪かった。
常識的な思考として、私は社宅在住であるため自宅で遺体となって発見されたらまずいとか、独身のため遺体は遠く離れた家族が引き取らなければならないとか、そういう想定はできるのだが、それでも死にたくなっていた。

一日横になって休んだら、頭痛と吐き気は軽くなり、絶望感も薄れてきた。
まだ胃痛を感じるが、久々に自炊して、食事を摂れた。
事実、現在、10年弱ほど続く借金返済と、精神疾患悪化による医療費増大化には頭を悩ませているが、将来の展望も自分なりにあり、死ぬほどではないと思い直せた。


休めるというのは幸福なことだ。
私はブラック企業勤務ではないから、休暇制度がちゃんとあるし、休日も土日がある。
だから、今まで半休を何度も取り休んできたが、根底に以下のような自己嫌悪があった。今でもある。
なんで土日しっかり休んでるのに週5日出られないんだ?
しかも平日も帰ってからすぐ風呂に入り寝てるし。
十分無理のない生活をしているはずなのに、どうして。

どうしてかは、1日休んで少しまともな精神状態となった今でもわからない。
精神を病んだ人や元々体が弱い人など、悟った人にしか答えはわからないのだと思う。

それでも1日休んだことにより、これだけ心の調子が良くなるとは驚きである。
昨日の晩まで「こんなに死にたくて、自分はどうなってしまうのだろう」と前が見えない状態であったから。
改めて、休暇制度の重要性を知った。


そういえば。
子供の頃から思ってることがある。正直すぎて誰かを傷つける考えかもしれないが。
私は別に自分だけが酷いストレスを受けていて、苦しんでいるとは思っていなかったけれど、頻繁に風邪などを引いて熱出したりしやすい人は学校や職場を休みやすくて、精神的にも休まる時間があって良いな、と。
風邪を引けば苦しいと思うし、風邪を引くこと自体が羨ましい訳じゃない。
ただ、私は不潔な生活をしていたからか?子供の頃は抵抗力が強く、他人にわかやすい体調不良が少なくて、学校時代殆ど休むことができなかった。
確かに他人に比べ体調は良いのだろうが、心が休まるきっかけがなく、辛かったと振り返る。
大学時代からは1年に2回くらい熱出すようになったけど、ベットで休んでて変な幸せを感じた。
熱と頭痛で苦しいはずなのに、何もできずにベットでぼーっと過ごす時間に、精神的にはなぜかほっとしている自分がいた。
大学3年の時、盲腸で熱が40℃出て3日間うなされ続けたときも、精神的に休まったから、客観的に当時の自分の置かれている状況やストレスを見られるようになって、治まったら身体以外にも様々な部分が、というか生活自体が回復した気がした。

子供の頃の周りの大人は「元気なら元気な方が良い」「体が弱い子は可哀想なんだ」とよく言っていたが、常識的な考え方であり一理あるものだが、あながちそうでもないと思う。
私自身も大学時代うすうす、今日初めてわかったことだ。
精神疾患でなくても、身体症状をきっかけに休むことは精神を回復させると思う。

私の片付け論

私は、片付けるのが苦手らしい。

らしいというのは、あまり自分で認めたくないから、このように言っている。
整理整頓は好きで、引越し後など積極的にものの置き場を決めたりラベリングしたりするのだが、普段の生活スペースは物が散らかっており、とても綺麗とはいえない。
また、水まわりも少し清潔でないところがあったりする…

 

こんな矛盾を抱えながら24年間生きてきたが(今日誕生日なんです)、買い物中にある商品を見つけて、自身の脳の片付けに支障の出る思考回路がわかったような気がするのだ。
その商品は、まぁ単なるバスケットなのだが、最大でA4サイズのものが収納できる底面とある程度ものを積み重ねられる高さがある。

 

私がなぜ片付けられないのか。
その答えは、散乱した部屋全体を見て、「私は今何をすれば良いのか?」という自分への具体的指示が咄嗟に思い浮かばないからである。
買い物後のビニール袋、通販で買ったものが入っていたダンボール、給与明細(おいおい)、電気などの領収書、壊れたキーホルダー、新しく買ったけどまだ使わないで保管しておくはずのメモ帳など、多種多様のものが部屋には散らばっている。
それらに対して、何から先にやれば良いか、また、まとめて分類して処理するものは何かなど、優先順位をつけにくいのだ。
そもそもの私の脳の特性でもあるし、疲れている時はなおさら頭を働かせることも出来なくなる。
そのために、「手がつけられない」と感じ、やる気が起きず放置…の積み重ねで汚部屋へと変貌していくのだ。

 

例えば、私は職場から持ち帰ったもの(自宅保管書類など)をカバンから出し、そこら辺にぽいっと置きがちである。
それを先述のバスケットに入れたら、これまでのように、優先順位がつけられないために片付けるべきものを考え、頭の中でパニックを起こすこともなくなるのではないかと思う。
その日は疲れたなら、そのまま寝てもOK。
後日余裕のある時に、バスケットの中身を見て、自分がどれをどこに仕舞えば良いのか認識し、片付けがなされるのではないかと思う。

 

「余裕のある時」を家事や片付け時間に回せるように、自分の中に組み込むのが課題だ。
多忙であると短時間でもその余裕が持てないため、週に最低1回は家事や片付け時間を設定することがまず最初の目標である。